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親愛なる 兼高かおる様


あなたが亡くなられていたことを、先日テレビの報道で知りました。

そちらの世界は、どんな様子ですか?

今ごろお仲間とくつろぎながら、大画面スクリーンでこちらの世界を懐かしくご覧になっているかなぁ…と、想いを馳せています。

90年間の地球旅を経て戻られたふるさとは、90年前と変わりなく安らぎに満ちているでしょうか。

それとも、そちらの世界も、こちらに呼応して変化を遂げているでしょうか。

あなたの訃報を聞いた瞬間、ふっと私の時間は止まり、胸の奥に広がる森の湖が、シーンと静まり返りました。

あなたは幼い私に夢見るチカラを与え、世界への扉を開いてくださった、とても大切な方でした。

いつかお礼を伝え旅のご報告をしたいと思いながら、それを後回しにし、お手紙を書きそびれていた自分を悔やみましたが、氣を取り直して今更ながらこのラブレターを書いています。

私があなたを知ったのは、今からほぼ半世紀前の晴れわたる日曜の朝のことでした。

テレビ画面から飛び出さんばかりに「世界」の中でイキイキと輝くあなたに5歳の私の目は釘付けになり、心で何度も「“世界”ってホントにあるんだ!」と叫んだのを覚えています。

そしてそのとき私は強く、「いつか私も絶対に、“世界”に行く!」と決意したのです。

それまで私は叔母にもらった『カロリーヌの世界の旅』という絵本を暗記するほど読んでいて、喘息の発作が来るたびカロリーヌとともに空想の中の「世界」へワープし、迫りくる発作の恐怖から逃れていました。

苦しくて苦しくて息ができなくて朦朧としていても、身体を抜け出してカロリーヌと「世界」に逃げ込めば、そこには夢のようなワンダーランドが広がっていて、恐ろしい発作の苦しみはモヤの向こうに遠ざかっていきました。

私にとってそんな「おとぎの国」でしかなかった「世界」がこの世に実在することを、あなたはあの日、私に見せてくれたのです。

あの瞬間、幼い私の中でビッグバンが起き、何万発もの打ち上げ花火とともに、生きる希望が生まれました。

それ以来、どんなに苦しいことや悲しいことがあっても、「私には世界がある」と思うと、笑顔を取り戻せるようになりました。

親友や母に初めて夢を打ち明けた小6の春、応援してくれると思っていた彼女たちに「そんなことできたら世話ないわ!」と鼻で笑われショックを受けましたが、

さほど落ち込むこともなく胸の内で密かに夢を育み続けることができたのも、あなたが見せてくれた数々の「世界」が、どんな時も最強のお守りのように、私を支え続けてくれたからだと思います。

そのお守りを人知れず抱きしめて大人になった私は、晴れて30才の夏、8年間の片思いの玉砕と、残業三昧のおかげでいつのまにか貯まっていた資金に背中を押され、満を持して世界一周の旅に踏み出しました。

あなたのスタイルを私なりに引き継ぐ想いで、「世界各地の光と影を旅人目線で素直に伝える」をモットーに、旅先から世界をレポートする雑誌連載やラジオ番組を持つこともできました。

その仕事は物理的にも精神的にも私の支えとなり、どこにいても私と日本をつなぎ、辛いことも記事へのモチベーションに変えてくれる原動力となりました。

当初3年だった旅の計画はいつしか6年になり、はちきれそうなバックパックと尽きることのない好奇心を相棒に、私は6大陸60カ国をひとり旅しました。

毎日顔じゅう体じゅうで踊るように話し、見たことのなかったものを見、聞いたことのなかった音を聴き、嗅いだことのなかった香りを嗅いで、無数の出逢いを通じて地球と自分の多様性に触れた、奇跡の旅でした。

あなたが私に見せてくれたこの星の色とりどりの素晴らしさを、私からもまた、誰かの心にバトンできますように…!

あつかましくもそんな祈りを込めながら、あなたの後輩として旅をレポートし続けていた私がいます。

帰国した私のまん中には、

「人間は地球のこども。地球が持っているすべての性質と可能性を受け継いでいる」

という揺るぎない確信が、北極星のように宿っていました。

そしてその想いは旅の6年目に出合った忘れ得ぬ出来事を通じて、私に「地球のこども」として生きる具体的な道を教えてくれました。

NGOの活動地取材で訪れたパレスチナ自治区の村の入口で、そこを封鎖し攻撃していたイスラエル軍青年兵が、私との対話の末に、

「俺は誰も殺したくない!誰のことも憎んでいない!でも今の俺の仕事はソルジャーで、これをやるしかしかたがないんだ!どうしようもないんだよ!」

と、大きな銃を抱えながら、壊れた機械のように繰り返し叫んだのです。

クラスター爆弾の破片のように飛び散って、私の胸のあちこちに突き刺さった彼の叫びは、やがて私に「自分を殺さない生き方こそが、他者を殺さない生き方につながる」と確信させてくれました。

殺すのではなく、自分や人や物事を、笑顔に向かって生かす「生・活」。

地球のいとなみに準じたその決意と活動こそが、最もシンプルで最もリアルな、誰にでもすぐできる平和づくりの方法。

そう確信し、いのちの殺傷につながる「使い捨て」を極力選ばず、「イカす暮らし」を目指しつつ、今日も生きています。

最後に添えるこの曲は、友人で歌い手のアラヤタツローくんが作った元歌に私なりの言葉をのせて歌った、あなたと、地球と、あの青年兵に捧げる、私の感謝と祈りの歌です。

私の人生にはかりしれない希望の光を与えてくださった、兼高かおるさん。

輝くいのちの在り方を見せてくださって、ほんとうにありがとうございました。

いつの日か、どこかでお目にかかれますことを、心から願いつつ…

地球の片隅にて、はらみづほより


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