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お久しぶりです!


ずっとブログをごぶさたしていましたが、

まだ時折ここを訪ねてきてくださる方がいるのを知って、

申し訳なさとうれしさを感じています。

新型コロナウイルスの登場で世の中が激動中の今、

家にいる時間が長くなり、

ここに言葉を綴りたい氣持ちが募ってきました。

フェイスブックでは時折投稿していたのですが

ここではトンとごぶさただったので、

ここを<私を知る窓口>としてくださっている方は、

「どうしちゃったんだろう…」と

心配してくださっていたかもしれませんね…

(そんな方がいらしたとしたら、すみませんでした…)

ウイルス感染防止のための緊急事態宣言も発令され、

これまで何の戸惑いもなかった「人と会う」ということが

はばかられる空氣を社会の中に感じていますが、

おかげさまで我が家は私も家族も元氣に暮らしています。

母のパーキンソン病が治ったわけではありませんが、

前回のブログを書いた昨年2月の記事を今読んで、

なんだかもう前世の話のように遠く感じ、

不思議な感覚に包まれている私がいます。

母は昨年の秋に

幸運にも自宅から徒歩5分の施設に入所が決まり、

私はそれから今日までの間に少しずつ

「自分のペース」を取り戻してこれたんだなぁ…

と、

今あらためてしみじみと

歩いてきた道をしばらくぶりに

ふり返ったような氣分になりました。

このウイルス騒ぎが始まった2月半ばからずっと

母に会えていなくて、

不安でさびしがっているだろうと思って

心配でたまらなくなったり、

「触れること」がいちばん安心を与えてあげられる

重要な交流だったのに…!と思って、

体をさすったり

アロママッサージをしてあげられないことを

苦しく思ったりしていましたが、

ある日、そんな自分の想いを見つめたときに、

「あぁ、不安でさびしがっているのは私自身なんだな」

と氣づき、ちょっと驚いてほっとした私がいました。

母とのつながりを必要としている自分を知り、

そんな自分に温かさを感じたから。

どうやら私は自分のことを、

もっとドライで冷たい人間だと

思っていたみたいです。笑

「近いから毎日会いに行ける」と思って

その施設を切望して手紙を書き、

晴れて異例の早さで入所が決まったものの、

3か月もしない頃から毎日会いに行くのがおっくうになってきて、

だんだんと会いに行く日が減っていき、

ウイルス騒ぎの前はすっかり

週に1~2度のペースになっていたので、

そんな自分に対してどこかで「冷たさ」を感じ、

ダメ出ししていたんですねぇ…

今これを書くまで、自覚していませんでした。

そうかー そうやって自分を責めてたから、

人のことも責めちゃってたのかもなぁ…

…と、今、人を責めるような口調で話していた

いくつかのシーンと自分の姿が

脳内スクリーンに映し出されています(笑)

人にやっていることは自分にやっていることで、

自分にやっていることは人にやっていること。

なんとなく書きたくなって

つれづれにこのブログを書き始めただけだったのに、

はからずも人間関係の本質にたどりついちゃったなぁ…笑

(あ、これ、ひとりごとです。笑)

コロナ自粛で施設が面会禁止になってからは

時折母に電話をつないでもらって話しているのですが、

それでわかったことが2つありました。

一つ目は、母は自分の状態はすっかり棚に上げて、

相変わらず私たち家族のことを心配している、

ということ。笑

(母はどこまでいっても、母なんですね…笑)

二つ目は、母は「せん妄」という、

現実と妄想が入り混じった状態でいることが

多くなってきているのですが、

そのおかげで、私が思うよりずっと、

ちゃんと毎日を楽しんでいるのかもしれない、ということ。

(先日は、「私なぜか今テレビに取材されてるんだわ。

テレビつけてごらん、出てるから」と、

ちょっとうれしそうな張りきった様子で、

「そういうわけでいま忙しいから、

 また電話するね!元氣でね!」

と、母の方から電話を切られました。笑)

…と書いていたら、

たった今、母から電話がかかってきましたー!

もちろん施設の方を通して、ですが、

母の方から電話がかかってきたのは初めてのこと。

このブログを私が書いているのが、伝わったのかなぁ…

母は、さっき書いた様子とは違いとても不安そうで、

氣も動転して混乱している様子で、

息が上がってハアハア言いながら、

「何がなんだかわからなくなっちゃったの。

 家に帰ろうと思ったんだけど、

 電話番号も道もわからないし、

 どうやって帰ればいいのかわからない…!」

と…

ひとしきり話を聴いて母の言葉を受けとめて伝え返し、

母の氣持ちと必要としていることを推測して投げかけ、

「私やお父さんもお母さんに会えなくて寂しいよ。

 今お母さんどうしてるかなぁ…って、

 いつもお父さんと話してるよ。

 お母さん、今みたいに、いつでも電話してきていいからね。

 電話で会うことならできるから。

 それに、ガラス越しに会うことならできるかもしれないから、

 それでもよければすぐ会いに行くからね」

…と、ゆっくり心の底からの声で話し、

いっしょに深呼吸し、

「お母さん、水飲んでるかい?ノド乾いてるんじゃない?」

と尋ねると、

「そうだね、水飲んでないわ」

と、ちょっと落ち着いた声。

母から職員さんに受話器を渡したようなので、

お湯かお茶を飲ませてくれるように伝え、

お礼を言って電話を切りました。

さっきつづった「わかったこと」に、

今、三つ目が加わりました。

それは、

人がみんなそうであるように母も常に変化していて、

ゴキゲンなときも、そうでないときもあり、

おそらく今の母のベースには、

不安やさみしさがモヤのようにあるのかもしれない、

ということ。

人にやっていることは自分にやっていることで、

自分にやっていることは人にやっていること。

これまでのいくつもの経験によって

母と私は見えない何かでシンクロしているように感じるから、

母に、自分自身に、

そして、会うことができなくて引き裂かれた想いでいる

すべての人たちに、

心からの共感とハートからの呼吸を通して、

コヒーランスを送ります (˘︶˘).。.:*♡


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